大学の授業では、かなりの量の「参考文献」が紹介される。
もちろん、科目全体で必要となる基本的なものはシラバスに記載されるし、シラバスに記載されているものは図書館の参考図書コーナーに配架されている。
もちろん、科目全体で必要となる基本的なものはシラバスに記載されるし、シラバスに記載されているものは図書館の参考図書コーナーに配架されている。
問題は、個別授業で紹介される図書である。その回の講義内容に関わるだけで、科目全体にはさほど重要でも無い場合だ。私の場合も、例えば「人間学Ⅰ」の授業で紹介した本はかなりの数になる(Facebook上で公開)。そして、これはシラバスには載せていないので、図書館で一定の場所にまとめて配架されているわけでもない。
勢い、そのような書物は、授業のノートに記されるだけで終わってしまいがちになる。
勢い、そのような書物は、授業のノートに記されるだけで終わってしまいがちになる。
だが、これは勿体ない。
そうはいうものの、大量に紹介される書籍をすべて読むなどということは、まず不可能である。
では、どうするか。
図書館などでその本を探し出し、その背表紙を読むのである。
可能ならば(その気があれば)、実際に手に取り、乱落丁を確認するような感じでパラパラとページをめくってみる。面倒ならば、目次を確認するだけでもかなり違う。
可能ならば(その気があれば)、実際に手に取り、乱落丁を確認するような感じでパラパラとページをめくってみる。面倒ならば、目次を確認するだけでもかなり違う。
人間の感覚器官は、いわばチャンネルのようなものである。たとえわずかな信号であっても、複数のチャンネルから入力された情報は、より強く印象に残る。わざわざ図書館にまで足を運び、検索まですればなお印象は強くなる。
この「背表紙の読書」を繰り返すだけでも、気がつかない内に、授業理解に大きな差が出てくるだろう。
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