2014年6月16日月曜日

図書館と「願い」

 ICU(国際基督教大学)の図書館で、「誰も借りてくれない本フェア」が開かれているという。


 確か、大谷大学図書館でも同じような企画が上がったことがあると聞いた。

 もっとも、谷大ではこの企画はボツになったらしい。



 それというのも、理由がいくつかある。

 大谷大学では、ここに上げられているような新書や選書は、(1階の)開架に配置されることがほとんどなので、その対象になる本がかなり限られるということ。
 大学の性質からして、図書の利用は、館外貸し出しではなく、館内閲覧が中心であるということ。
 また、最初から地下の閉架書庫に設置されるような本だと、収蔵後数年では、貸し出しされない本があまりにも多いということ。そのくせ、著者没後になってから、にわかに注目されるようになるということも、珍しくない程度にあるという。
 そういう意味では、大谷大学図書館では、「借りてくれない本」は、必ずしも「読まれない本」であるとは言えない。借り出されなくとも、読まれるならば良いではないか。

 大学図書館の使命というのもいくつかあろうが、「保存」と「利用」とのどちらに重点を置くかというと、圧倒的に「保存」の方に重点を置くことが(少なくとも大谷大学図書館は)期待されている。

 保存のためには、利用はあまりされない方がイイ。

 しかし、実は、谷大図書館はかなり利用しやすい図書館である。

 よその大学では、下手すると貴重書に分類されてしまいかねない本が、何の手続も無しに閲覧できる開架図書として設置されていたりする。そういう意味で、谷大図書館は、「(保存のためには)もっと利用を制限してもいいのではないか」などと外部からアドバイスされたりするほどである。
 館外貸し出しするにも、わざわざカウンターまで持って行く必要もない。貸出機に学生証を入れて、図書のバーコードを読ませれば良いだけだ。

 何だかんだ言っても、『大学ランキング 2015年版』(朝日新聞社)で、図書館が総合15位にランキングされているのである。全国のあらゆる規模の大学の中で15位であるから、かなりの成績である。

 こういう便利さには、少なからぬコストがかかっている。
 貸出機とか開架スペースとかだけではない。それよりも、本のメンテナンス作業やチェックなどという、人手をかけた部分に多くのコストがかかっている。

 コストがかけられているということは、そこに願いがかけられているということでもある。

 図書を借りて読むということはモチロンのことだが、そこにかけられている「願い」を感じ取って欲しいと思う。

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